プロ野球選手の引退後の仕事は?
プロ野球選手の引退後をご紹介します。
プロ野球選手引退後の仕事の花形である、監督、コーチ、指導者、解説者、スポーツキャスターなどになれる人は、ごく一部のトップの元プロ野球選手だけです。
しかも、プロ野球の監督・コーチ等の指導者は1年契約更新がほとんどのため、結果が出せなければクビです。
引退後のプロ野球の解説の仕事は、プロ野球のテレビ中継自体が減っていることもあり、ギャラはそこまで高くありません。
プロ野球解説は安定した仕事ではなくスポット(単発)の仕事のため、引退後にプロ野球解説者のとしての収入をアテにすることもできません。
長嶋一茂さんのように、プロ野球引退後に俳優になる選手もいますが、これも才能が必要です。
プロ野球引退後は一般企業に再就職する人、独立・起業する人、球団関係で働く人など、セカンドキャリアの選択肢は多いです。
プロ野球引退後に球団関係の仕事に就く元選手たち
球団から戦力外通告を受けて、20代後半や30代でプロ野球を引退する選手も多いです。
「今まで野球しかしたことがないから、野球に関わる仕事がしたい」ということで、プロ野球の球団関係の仕事に再就職する引退した選手も多いです。
雑用も含めて、引退後のプロ野球の球団関係の仕事は、あるにはあります。
引退後にプロ野球に関わる仕事に就くことができますし、引退したプロ野球選手だからこそ再就職できる仕事でもありますが、デメリットもあります。
デメリットの1つめは、プロ野球の球団関係の仕事は年収が低いことです。
年功序列で年収が上がっていくわけではありません。
「いつまでやるんだろう…」「この仕事を続けて、将来どうなるんだろう」と不安になる引退したプロ野球選手は多いです。
デメリットの2つめは、引退後にプロ野球の球団関係の仕事に再就職してしまうと、他の業界で使えるスキルが身につかないことです。
引退後にプロ野球の球団関係の仕事に就ければ、とりあえず野球に関する仕事ができます。
今までのプロ野球での経験を活かせる場面も多少あるでしょう。
しかし、引退後にプロ野球の球団関係の仕事に再就職して続けてしまうと、どんどん年齢が上がってしまいます。
プロ野球の球団関係の仕事で定年まで働けるということもないため、結局また転職の壁にぶつかることになります。
プロ野球引退後に、1歳でも若いうちに他業界にチャレンジしておけばチャンスは広かったのですが、年齢が上がってしまったことで他業界でチャレンジできる選択肢が大きく減ってしまいます。
転職業界には「35歳の壁」があるため、35歳を過ぎてしまうと他業界への転職は不利になります。
特に、引退したプロ野球選手は「今まで野球しかやってこなかった」ということで他業界への転職は不利です。
引退後にプロ野球の球団関係の仕事に再就職するのはデメリットもあるということです。
年俸が高かったプロ野球選手ほど、引退後のギャップに苦しむ
高額の年俸をもらっていたプロ野球選手ほど、現役引退後の生活で失敗するリスクが高いです。
プロ野球選手時代の高い生活費水準のまま引退後の生活をしてしまうと、あっという間に貯金は底をついてしまいます。
清原和博選手が一時期テレビで取り上げられましたが、プロ野球引退後に支出を下げるというのは難しいものです。
引退したプロ野球選手の中には借金を抱えてしまい、さらに苦しい生活になる人もいます。
引退後の再就職や転職が厳しいのは、高卒のプロ野球選手
最終学歴が高卒のプロ野球選手は、引退後の再就職先の選択肢がどうしても狭くなります。
大卒のプロ野球選手の方が、まだ引退後の再就職はしやすいです。※簡単という意味ではありませんが。
最終学歴が高卒のプロ野球選手は、引退後に自分で再就職先を探したり転職活動をするには限界があるため、元アスリート向けの転職相談窓口を活用すると良いです。
特に、最終学歴が高卒で、30代で引退したプロ野球選手は元アスリート向けの転職相談窓口を使ってください。
「引退したプロ野球選手」という肩書をメリットにして、転職活動を有利に進めるにはコツがあります。
詳しくは『体育会系は就職や転職に有利な15の理由』を読んでみてください。
ちなみに、有名プロ野球選手の引退後をご紹介
引退した有名プロ野球選手を何人かご紹介します。
引退後はどのようなセカンドキャリアを歩んでいるのでしょうか?
仁志敏久さんの引退後
仁志選手は、読売巨人軍→横浜ベイスターズ→アメリカ独立リーグのランカスター・バーンストーマーズでプレーしてきました。
特に巨人軍時代の先発出場の姿や、ここ一番での勝負強いバッティングの印象が強いですよね。
とても素晴らしい選手でした。
2009年に現役を引退しています。
引退後は、2010年にアメリカ独立リーグのサザンメリーランド・ブルークラブスで臨時コーチを務めました。
2011年4月からはフジテレビ『すぽると!』のレギュラー野球解説者を務めています。
また、その他野球解説の仕事もしています。
2012年には文化放送の解説者にも就任しています。
2013年には筑波大学の大学院に合格。
人間総合科学研究科で体育学を学んでいます。
2016年に修了しています。
また、2013年には侍ジャパン野球日本代表の内野守備・走塁コーチを務めています。
2014年には侍ジャパンのアンダー世代である12U(小学生以下)代表監督にも就任しています。
2015年に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表内野守備・走塁コーチを務め、第1回WBSCプレミア12の日本代表内野守備・走塁コーチも務めています。
2016年に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表内野守備・走塁コーチを務め、「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表コーチも務めています。
仁志さんは指導者としてとても優れており、引退後も野球界で活躍されています。
斎藤雅樹さんの引退後
斎藤投手は読売巨人軍一筋で、巨人の一時代を築いた名選手です。
斎藤、槙原、桑田の先発ローテーションはテレビで何度となく見ましたね。
抜群の安定感で、巨人の勝ちパターンの1つを担っていました。
全盛期には2年連続の20勝を挙げており、大記録を樹立しました。
2001年に現役を引退しています。
引退後は2002年~現在に至るまで、読売巨人軍の一軍投手コーチと二軍投手コーチとして活躍。
2004年〜2005年にはフジテレビ野球解説者・スポーツ報知評論家、沢村賞選考委員を務めていました。
2018年は一軍投手総合コーチに就任しています。
また、2016年には第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表監督を務めることが発表されています。
槙原寛己さんの引退後
槙原さんは読売巨人軍一筋で、素晴らしい成績を残した偉大な投手です。
1994年5月18日には完全試合を達成しています。
槙原、桑田、斎藤の先発ローテーションは一時代を築きました。
晩年はストッパーとして活躍されていました。
2001年9月30日が引退試合となり、槙原選手と一緒に引退が決まっていた斎藤雅樹選手ににリレーされ、2人の球を受けたのはキャッチャーは同じく引退が決まっていた村田真一選手でしたね。
なんとも印象深いシーンで、今でも目に焼き付いているファンの方も多いでしょう。
引退後はテレビに出演することや解説に登場することも多いです。
また、臨時のピッチングコーチを務めたこともあります。
新庄剛志さんの引退後
新庄剛志さんは本当にインパクトのある選手でしたね。
阪神タイガース→メッツ→ジャイアンツ→メッツ→日本ハムとチームで戦ってきました。
阪神時代に読売巨人軍の槙原投手の敬遠球をヒットにしたり、メジャーリーグでの活躍、最後の日本ハムでの日本シリーズ制覇など、本当に「記憶に残る男」として、とても有名な選手でした。
最後を日本シリーズ優勝で締めくくるあたりが、新庄選手らしかったですね。
2006年に現役を引退しました。
現役引退後はタレントへ転身して、しばらくはメディアに出ていましたが、数年するとメディアであまり見なくなりましたね。
2011年~2016年くらいまではモトクロス競技の練習もしていました。
2006年度ゴールデン・アロー賞・スポーツ賞を受賞。
2008年には「株式会社レハサフ」を設立して取締役に就任しました。
アスリート・アーティスト等のマネジメント、コスメティック・アパレルグッズの企画・販売などをする会社です。
また、地方競馬の馬主もされています。
2010年くらいからインドネシアのバリ島へ移住しています。
現地でモトクロスの練習や、子供たちに野球指導もしているようです。
入来祐作さんの引退後
読売巨人軍→日ハム→横浜と現役時代を活躍したスター投手です。
闘志みなぎる投球が印象的でしたね。
入来投手の投球には興奮したものですね。
2005年に年俸2億の条件を蹴って、メジャーリーグに挑戦しました。
ニューヨークメッツと契約合意にはなりましたが、メジャー昇格とはなりませんでした。
2008年12月にチームサポーターとして横浜と契約しました。
打撃投手を1年間務めた後に、2010年から2012年夏まで2軍の用具係、2012年秋から2014年秋まで一軍の用具係をしていました。
入来投手が用具係をしていたときの様子はテレビ番組でも放映されていたため、印象に残っている人もいるのではないでしょうか?
その後2015年に福岡ソフトバンクホークスの工藤監督から声がかかり、三軍投手コーチへ就任しました。
そのときの入来さんの涙のインタビュー動画も有名ですね。
プロ野球選手の引退後について、深く考えさせられるものです。
今後の入来さんのご活躍に期待しています。
元木大介さんの引退後
元木大介さんは、1990年にドラフト1位で読売巨人軍に入団しています。
1991年~2005年までジャイアンツ一筋でプレーしています。
2005年の引退後は、日本テレビ系列の「THE・サンデー」のスポーツコーナーにレギュラー出演しています。
2006年からはTBSラジオ野球解説者とスポーツ報知評論家として活躍。
テレビ番組で見る機会もありますよね。
2010年、2012年にはラーメン店「元福」をオープンしましたが、両店舗とも経営がうまくいかず閉店しました。
2013年には足立に本店も構えましたが、翌年に閉店しています。
今後のご活躍が楽しみですね。
桑田真澄さんの引退後
桑田真澄さんはPL学園高校時代に清原和博さんと「KKコンビ」で一躍甲子園のヒーローになりましたね。
1985年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団し、1986年~2006年の21年間ジャイアンツでプレーしました。
90年代の斎藤雅樹投手、槙原寛己投手との先発ローテーションは一時代を築きましたね。
2007年からアメリカのピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、メジャー昇格に挑戦し、同年6月にメジャー昇格しました。
2007年6月10日にヤンキースタジアムで行なわれたニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初登板を果たしました。
39歳でのメジャーリーグデビューは日本人選手では史上1位です。
さすが桑田選手ですよね。
2008年に現役を引退しました。
引退後は野球解説者、評論家やタレントとして活動しています。
その傍ら、2009年には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに合格し、大学に進学しています。
40代で大学生になっていたのですね。
PL学園を最後に高卒でしたが、桑田さんらしい探求心・挑戦心を感じます。
大学院を2010年に首席で修了しています。
2013年から東京大学の硬式野球部で特別コーチに就任しています。
2014年には特別コーチを務める東京大学で、大学院総合文化研究科の大学院研究生に合格しています。
すごい経歴ですよね。
2016年からBCリーグの信濃グランセローズにて臨時コーチに就任しています。
桑田真澄さんと言えば、日本の野球の練習方法にも一石を投じています。
まだまだ日本の野球部には古いしきたりが残っており、そのやり方だと選手の体を壊してしまうことや、「野球の基礎」と言われている技術が、実は大きく違うことなども論じておられます。
日本の野球界に良い影響を与える素晴らしいリーダーだと言えます。
野球だけにとらわれず、幅広いジャンルでご活躍されている桑田真澄さんの今後はとても楽しみですね。
清原和博さんの引退後
清原和博さんは、PL学園で甲子園に出場し、桑田真澄選手と一緒に「KKコンビ」として甲子園のヒーローになったのはあまりにも有名です。
その後はドラフト1位でプロ野球選手となり、西武ライオンズ→ジャイアンツ→オリックスバッファローズと球団を経験しています。
2008年に現役を引退しています。
引退後は、2009年に日刊スポーツと専属評論家としての契約を交わしています。
また、2009 ワールド・ベースボール・クラシックではTBSで実況中継の特別解説者として出演しています。
同年にはフジテレビ『すぽると!』で不定期ゲスト解説者としてプロ野球や各種スポーツの解説も担当しています。
バラエティ番組の出演も多く『とんねるずのみなさんのおかげでした』では「男気ジャンケン」にも多数回出演しています。
引退後もテレビ番組を中心に目にすることが多かったですね。
しかし、2014年に薬物使用疑惑が報じられ、2016年には自宅にて覚せい剤取締法違反容疑で現行犯逮捕されています。
それ以来メディアに登場することはありませんが、今後どうしていくのか、というところですね。
伊良部秀樹さんの引退後
伊良部選手と言えば、ロッテ時代に「158km/h」で、強烈なインパクトがありましたね。
伊良部選手は、ロッテ→ニューヨーク・ヤンキース→モントリオール・エクスポズ→テキサス・レンジャーズ→阪神タイガース→ロングビーチ・アーマダ→高知ファイティングドッグスでプレーしてきました。
引退後は、2005年に渡米し、グリーンカード(外国人永久居住権)を取得してアメリカでビジネスを始めました。
カリフォルニア州ロサンゼルスでうどんのフランチャイズチェーン「SUPER UDON」を開業しましたが、その後事業がうまくいかず閉店しました。
2009年に北米独立リーグ・ゴールデンベースボールリーグのロングビーチ・アーマダに入団して現役に復帰しました。
同年8月には四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団しましたが、ケガにより引退。
その後、アメリカロサンゼルスにて、飲酒運転の疑いで逮捕されています。
そして、2011年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で首を吊った状態で死亡しているのが発見されました。
享年42歳でした。
この「伊良部選手自殺」というニュースは、日本の野球ファンに大きなショックを与えましたね。
「スーパースターがどうして…」という印象でした。
松井秀喜さんの引退後
松井秀喜さんの現役時代のキャリアは、石川県星稜高校→ジャイアンツ→ニューヨークヤンキース→エンゼルス→アスレチックス→レイズという輝かしいキャリアを積んで引退された、まさに英雄ですね。
引退後は、2013年に長嶋茂雄さんと一緒に国民栄誉賞を受賞しています。
その後、ヤンキース傘下のショートA級スタテンアイランドで打撃投手を務めています。
また、2013年のMLBオールスターゲーム中継で、ゲスト解説を務めています。
2014年2月に読売ジャイアンツの春季キャンプで臨時コーチを務め、その後2月~3月まではニューヨーク・ヤンキースのスプリングトレーニングでゲストコーチを務めました。
2015年にはヤンキースGM特別アドバイザーに就任し、2016年もヤンキースGM特別アドバイザーとして活動しています。
今後の活躍も楽しみです。
プロ野球選手の引退後の再就職先、成功できそうな職業は?
有名選手は引退後も野球に関わる仕事に就ける可能性はありますが、多くの引退したプロ野球選手の再就職先の事例をご紹介します。
不動産や保険の営業職
投資用不動産の営業職や、保険会社の営業職は、引退したプロ野球選手にとって有名な再就職先です。
ただし、営業職のためコミュニケーション能力が必要です。
口下手な引退したプロ野球選手となると、少々厳しい仕事でしょう。
投資用不動産も生命保険も、比較的「人から嫌われる仕事」です。
投資用不動産の営業や、生命保険の営業を受けて嬉しい人は滅多にいません。
むしろ「営業がきたよ…面倒くさいな…」と思われることが99%です。
「人から嫌われる営業職」に慣れていない引退したプロ野球選手の中には、あまりの環境の変化に離職してしまう人もいます。
また、投資用不動産の営業も生命保険の営業も「超実力主義、超結果主義」の世界です。
売上が良ければ年収は青天井で高くなりますが、売れなければ給料はありません。
これはプロ野球の世界でも同じことですので、そこはあまり抵抗がないかもしれませんね。
ただし、プロ野球の数字を残すことではなく、不動産を売る、保険を売るという全く別の仕事のため、どうしても合わない人はなかなか結果を出せない人もいます。
研修制度がしっかりしている会社を選択することが重要です。
研修が少ない投資用不動産の会社や保険会社もあるため、プロ野球引退後の転職先の会社選びは慎重に検討しましょう。
引退したプロ野球選手が多く転職している生命保険会社は「プルデンシャル生命」です。
プルデンシャル生命は最終学歴が大卒以上しか就職できません。
保険営業の売上が良ければ生き残れますが、売上が悪ければ生活できなくなります。
離職率も高いため、チャレンジするのであれば覚悟しておきましょう。
プロ野球引退後にテレビ局に転職
プロ野球引退後にテレビ局に転職する選手もいます。
ただし、最終学歴が大卒以上でないと難しいでしょう。
テレビ局は採用倍率が高いため、就職難易度が高いです。
テレビ局は激務で体力がいる仕事です。
昼夜も逆転しますし、局に泊まり込むことも多いです。
残業時間はかなり長くなり、ワークライフバランスは悪いです。
ただ、「体力が必要」という点では、引退したプロ野球選手は良いでしょう。
詳しくは『体育会系に人気のテレビ局は?』を読んでみてください。
総合商社など商社
プロ野球引退後に総合商社や専門商社に転職する人もいます。
商社は中途採用枠もあり、転職にチャレンジする引退したプロ野球選手もいます。
ただし、商社は「超結果主義」の世界のため、売上が悪ければクビです。
「結果を残す」という点ではプロ野球と同じです。
「あきらめない」「目標を達成する」「結果を出す」という点では、プロ野球で培った経験が役に立つでしょう。
高いコミュニケーション能力が求められる仕事のため、口下手な引退したプロ野球選手には厳しいでしょう。
あくまでも野球とは違う世界のため、きちんと切り替えて仕事をできるかが勝負です。
詳しくは『体育会系に人気の総合商社は?』を読んでみてください。
プロ野球選手引退後に広告代理店に転職
プロ野球選手が現役引退後に広告代理店に転職するケースも多いです。
広告代理店は超営業職だと思ってください。
広告の営業で契約をもらってくる仕事です。
超結果主義ですし、売上が低ければクビです。
しかし、超結果主義はプロ野球の世界も同じのため、引退後に気持ちを新たにチャレンジする人も多いです。
高いコミュニケーション能力、交渉力が必要ですし、体力も必要な仕事です。
「体力には自信がある」という引退したプロ野球選手には良いですが、コミュニケーション能力や交渉力は新たな身につければいけないスキルの可能性もありますね。
取引先やお客さんとお酒を飲むシーンを多く、お酒は飲めた方が良いでしょう。
プロ野球引退後にスポーツ用品メーカーに転職
引退したプロ野球選手がスポーツ用品メーカーに転職するケースもあります。
中途採用をしているスポーツ用品メーカーもあるため、興味のある引退したプロ野球選手はチャレンジしてみても良いでしょう。
特に、引退したプロ野球選手だと、
などのスポーツメーカーが代表的です。
ただし、他のスポーツ選手や新卒の学生さんにも人気の就職先のため、就職難易度は高めです。
ハウスメーカーの営業
引退したプロ野球選手がハウスメーカーの営業職に転職するケースも多いです。
大手ハウスメーカーでも、営業職であれば中途採用枠のある企業もあります。
ハウスメーカーとは、ミサワホーム、大和ハウス、住友不動産、積水ハウス、三井ホーム…など数は多いです。
ハウスメーカーの営業職は、住宅展示場のモデルハウスにいて、モデルハウスを見に来たお客さんに新築住宅を購入してもらう営業職です。
ノルマは厳しく、場合によってはかなりゴリゴリに営業をしないといけないときもあります。
お客さんは「一生で一番高い買い物だからじっくり考えたい」と思っていますが、営業の側はノルマと期限があるため「早く買ってくれ」と思うもので、このお客さんとのギャップがなかなか難しい仕事です。
売上・数字を残す仕事である点はプロ野球と同じです。
営業職ですので、高いコミュニケーション能力が必要です。
家が売れなければ当然クビです。
自動車の営業職
引退したプロ野球選手が自動車の営業職になるという事例も多いです。
車のショールームに来たお客さんの対応をして、車を買ってもらう営業をする仕事です。
トヨタや日産など国産車ディーラーの営業もありますが、メルセデスベンツやBMWやポルシェなど外車の営業もあります。
「車が好き」というのは大前提の仕事です。
当然ノルマがあり、決められた期限内に決められた以上の台数を売らないとクビになってしまいます。
「目標を達成する」という点ではプロ野球の世界と同じです。
コミュニケーション能力や交渉力が必要な仕事です。
人と話すのが得意な引退したプロ野球選手には良い仕事ですが、口下手な元プロ野球選手は少々苦戦するかもしれません。
値引き交渉が進んでしまうこともあり、売上がなかなか上げにくいということもあるでしょう。
スポーツジム・フィットネスクラブに転職
プロ野球を引退後にスポーツジムやフィットネスクラブに転職する人もいます。
うまく売り込めば「元プロ野球選手」ということで採用になることもありますが、スポーツジムやフィットネスクラブは正社員募集が少なくなかなか稼げないことや、将来を考えると長い目で見れない仕事でもあります。
などが有名です。
40代や50代までインストラクターを続けることは難しく、先々にまた転職の悩みを抱える可能性があります。
特に、年齢を重ねてからの異業種への転職は厳しいですので、スポーツジムやフィットネスクラブへの転職は慎重に検討する必要があります。
建設業の現場監督
プロ野球を引退後に建設業の現場監督・施工管理の仕事に転職する人もいます。
実はこの現場監督は30代でも未経験からチャレンジできる仕事です。
手に職がつく仕事のため、技術が身につけば将来も仕事に困ることはないでしょう。
※工事現場作業員ではなく、現場を取りまとめる監督の仕事です。
年収も高いため技術が身について慣れれば良い仕事です。
これは転職の選択肢にない人もいますが、意外と穴場の仕事と言えるでしょう。
デメリットは、忙しい仕事のためプライベートの時間は短くなりますが、引退したプロ野球選手には体力的にも精神的にも合う仕事と言えます。
プロ野球引退後に運送会社に転職
簡単に言うと、トラックの運転手の仕事です。
中型自動車免許以上が必要ですが、プロ野球引退後のセカンドキャリアのために中型自動車運転免許・大型自動車運転免許を取得する人もいます。
体力は必要な仕事ですが、引退したプロ野球選手であれば体力的には問題ないでしょうから、アリかもしれません。
ただし「運転が好き」という大前提がないときつい仕事です。
体を壊す人もいますし、一般の人よりも交通事故に遭う確率は高まりますので、慎重な判断が必要です。
会計事務所
商業高校出身者や簿記ができる、引退したプロ野球選手には良いでしょう。
ただし、勤務時間が長い仕事ですので「とりあえず働きたい」というような動機では続かない厳しい仕事です。
将来的には独立もできる仕事ではありますので、働きながら公認会計士の国家資格を目指す人もいます。
特殊な仕事ですので「なぜ会計事務所で働くのか」を明確にすることが大切です。
プロ野球引退後のホテルマンに転職
現役引退後にホテルマンに転職する元プロ野球選手もいます。
ホテルの仕事はとても体力のいる仕事です。
立ちっぱなしのことも多いです。
ですが「体力が必要な仕事」という点では、引退したプロ野球選手には良いでしょう。
ただし、昼夜が逆転することもありハードな仕事です。
また「何のためにホテルマンで働くのか」が明確になっていないと「何をやっているんだろう?」と疑問を感じる人もいるので、目的を明確にしましょう。
ビル管理業、清掃業
ビル管理の仕事は年齢が高くてもチャレンジできる仕事です。
プロ野球引退後に転職する人もいます。
職場によっては30代後半や40代でも転職することができます。
ビル管理というと暇な印象を持つ人もいるかもしれませんが、やることが多くハードな仕事です。
体力も必要な肉体労働だと思った方が良いでしょう。
体力が必要という点では、引退したプロ野球選手には良いかと思いますが「なぜビル管理?」という目的が不明瞭だと人生に迷う人もいます。
清掃業も年齢が高くても転職できますが、正直言って不人気な仕事です。
汚い仕事もありますし、ビルなど建物を清潔に保つ立派な仕事ですが、プライドが邪魔してしまう元プロ野球選手もいます。
尊い仕事なのに「なんで俺が掃除の仕事を?」と悩んでしまう元プロ野球選手もいます。
慎重に判断しましょう。
産業廃棄物処理
産業廃棄物処理の仕事も、ある程度年齢が高くても転職できる仕事です。
プロ野球引退後に転職する人もいます。
簡単に言うとゴミ処理の仕事です。
肉体労働ですので、体力が必要です。
体力が必要という点では、引退したプロ野球選手には良いでしょう。
一番きついのは臭いです。
ゴミの臭いに囲まれて仕事をすることになりますので、それがどうしても辛いという人には厳しい仕事です。
プロ野球引退後に製造業や工場勤務に転職
製造業や工場勤務は50代からで転職可能な仕事です。
プロ野球引退後に、製造業や工場勤務に転職する人もいます。
年齢が上がってからの製造業や工場勤務は正社員採用は少なく、アルバイトや契約社員が多いです。
ですが、仕事がなくなることはなく、勤怠管理もしっかりしていて、残業すればきちんと残業代ももらえます。
部署によっては立ちっぱなしの作業もありますが、そこは体力に自信のある引退したプロ野球選手であれば良いでしょう。
製造業や工場勤務はシフト制のため、土日祝が休みということではありません。
また、夜勤もあるため昼夜逆転の仕事が難しい人にはきついでしょう。
比較的転職しやすい仕事です。
プロ野球引退後に警備員になる
警備の仕事は収入が高いため、転職する引退したプロ野球選手もいます。
立ちっぱなしの仕事のため体力が必要ですが、体育会系や元プロ野球選手には良いでしょう。
警備の仕事をするには警備の資格が必要です。
また、何か非常事態が起きたときは体を張らなければいけない仕事のため、まれに危険なこともあるでしょう。
ただ、大半の時間は暇です。
「稼ぎたい」という人には良いでしょう。
1日が過ぎるのをとても長く感じるため「この仕事、いつまでやるんだろう?」と将来が不安になってしまう人もいます。
介護職
介護の仕事は募集が多いため、転職しやすい仕事です。
ただし、介護職は離職率が高いことを覚えておきましょう。
まだまだ介護職で働く人たちの労働環境は厳しいものがあり、入社して1日で辞める人もいます。
人間の汚い部分や、見たくない部分を多々見なければいけないため、うつになってしまう人もいます。
介護職でもう1つ辛いのが「職場の人間関係」です。
狭い職場であり、みんなストレスが溜まっているため人間関係のトラブルになりやすいです。
常に人員不足のため非常に忙しく、なかなか休めなかったり、シフトによっては昼夜逆転もあります。
体を壊す人もいます。
とても体力のいる仕事のため、引退したプロ野球選手には良いかもしれませんが、覚悟しておきましょう。
国家資格も多く、将来のキャリアアップのために資格を取得していく人もいます。
プロ野球引退後に飲食店に転職
飲食店勤務も比較的就職・転職しやすいです。
プロ野球引退後に転職する人もいます。
人の出入りが激しく、人員不足の飲食店も多いため転職はしやすいです。
ただし、ご存知の通り大変過酷な仕事です。
ランチ時と夕飯時は戦争のような忙しさです。
もちろん立ちっぱなしの仕事のため体力は必要です。
「体力が必要」という点では、引退したプロ野球選手には良いかもしれません。
飲食店勤務といっても、ほとんどはホールスタッフです。
注文をとったり、料理を運んだり、皿を片付けたり、レジ打ちをしたりする仕事です。
給料が安い点と、長い目で見れない仕事のため、将来が不安になるというデメリットがあります。
また、人様に顔を見られる仕事のため「世間に顔を見られたくない」という引退したプロ野球選手には難しいでしょう。
料理の勉強をして厨房に入って調理の仕事をする人もいますが、調理の仕事も過酷な仕事です。
勤務時間も長いですし、怒鳴られることもあるでしょう。
よほどの覚悟と目的がないと料理人の仕事はお勧めしません。
プロ野球引退後に理学療法士になる
ご存知の通り、理学療法士はリハビリの仕事です。
プロ野球選手時代にお世話になった人もいることでしょう。
引退後に「自分が選手のリハビリを手助けする側に回りたい」と思うことは自然なことです。
理学療法士の働く場所は病院、介護施設、市区町村の役所、障害者施設、スポーツ関係の施設などです。
体に関わる仕事のため、今までプロ野球で培ってきた知識や経験が役立つこともあるでしょう。
理学療法士になるには、理学療法士の大学・短大・専門学校に進学して国家試験に合格する必要があります。
学校にいくため、学費がかかることがデメリットではあります。
理学療法士になるために時間とお金と労力がかかるため、本気の人しかできない仕事でしょう。
また、必ずしもスポーツに関われるとは限らないので「スポーツ関わる仕事がしたい」という目的であれば慎重な判断が必要です。
柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、整体師
こちらもご存知の元プロ野球選手も多いでしょう。
ケガをした人に治療をする仕事です。
引退後に「ケガをした人を治療する側に回りたい」と考えるのも自然なことです。
柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師は国家資格のため、大学か専門学校で学んで国家資格に合格する必要があります。
専門学校に通う期間は3年です。
整体師は民間資格のため、大学や専門学校に通う必要はありませんが、独学でできるものではありませんので、やはり勉強や修行が必要です。
柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、整体師になるには、学費と時間と労力がかかるため、これをかけてでもやるかどうかです。
柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の働く場所は、病院、接骨院、整骨院、鍼灸院、介護施設などです。
整体師の働く場所は整体院やマッサージ店が主です。
いずれも「人の体を治す、癒す仕事」です。
体力が必要な仕事のため、引退したプロ野球選手には良いでしょう。
忙しい職場だと朝から晩まで治療することになるため、かなりの体力が必要です。
また、技術が上がってくれば独立・開業という選択肢もあるため「自分の商売をしたい」という元プロ野球選手には良いでしょう。
プロ野球引退後に教員になる
プロ野球選手を引退後に教員になる人もいます。
ただし、教員になるには当然教員免許が必要です。
プロ野球選手になる前に、大学で教育学部を卒業し教員免許のある人でないとできません。
プロ野球引退後に警察官になる
プロ野球選手の引退後に警察官になる人もいます。
警察官は公務員のため、警察の公務員試験を受けて合格する必要があります。
年齢は20代のうちでないと受験はできません。
※30歳を超えると受験できないところが多いようです。
警察官は公務員であるため「安定した仕事に就きたい」という引退したプロ野球選手には良いでしょう。
警察官の公務員試験は、公務員試験の中でも難易度は低めです。
また、一般の人で公務員試験を受ける人は「警察官になりたい」という人は少ないため、倍率は低めになります。
※危険職のため、不人気です。他の公務員試験を受けるための練習やすべり止めとして受ける人が多いです。
試験の難易度でいうと、公立高校入試より少し難しいくらいです。
ただし、もちろん「試験が簡単」というわけではありませんので、きちんと勉強しないと合格できません。
最低でも毎日7時間の勉強を1年はやらないと合格できません。
勉強が苦手な元プロ野球選手には難しいでしょう。
警察官の採用試験には体力測定もありますが、引退したプロ野球選手にはとても簡単な試験です。
警察官に合格すると最初は警察学校でみっちり勉強します。
厳しい寮生活で、体を鍛える訓練もありますが、引退したプロ野球選手にはできるでしょう。
とにもかくにも、警察官になるにはきちんと勉強して採用試験に合格する必要があります。
プロ野球引退後に消防士になる
プロ野球引退後に消防士になる人もいます。
消防士は公務員のため、公務員試験に合格する必要があります。
消防士の試験は難易度が高いため、きちんと勉強しないと合格できません。
最低でも、1日8時間の勉強を1年以上続けないと合格できません。
勉強が苦手な元プロ野球選手には難しい試験でしょう。
消防士の仕事は非常に体力が必要ですが、これは引退したプロ野球選手には向いていると言えるでしょう。
火事があったときは危険な現場に行くことになります。
時には自分が危険な目に遭うことがあるでしょう。
「消防士になりたい」という強い気持ちがないとできない厳しい仕事です。
プロ野球引退後に自衛隊に入る
プロ野球引退後に自衛隊に入る人もいます。
自衛隊も公務員ですが、採用試験の難易度は低いです。
自衛隊になると訓練の毎日です。
厳しい規律の中で訓練を続けます。
こうした厳しい環境や体力が必要な仕事は、引退したプロ野球選手には向いていると言えるでしょう。
公務員のため、安定した収入を得られます。
自衛隊のデメリットは「退職しにくいこと」です。
民間企業であれば1ヶ月~3ヶ月で退職できますが、自衛隊を退職するのは短くて半年、長いと1年かかります。
急に辞めたいと言っても辞めさせてもらえません。
もう本人はやる気がないのに、長いと1年も自衛隊の仕事を続けなければいけません。
その他、サラリーマンになる元プロ野球選手がもっとも多い
プロ野球引退後にサラリーマンになる人がもっとも多いです。
業種のジャンルはかなり広いです。
20代で若いうちであれば事務職に就くこともできます。
事務職のデメリットは年齢が上がると転職しにくいことです。
事務職は「キャリア」とは見られておらず、転職に有利なスキルが身につかないというデメリットがあります。
狭い事務所で働くこともあるため、人間関係のトラブルが多いです。
未経験からであれば、IT系の仕事にチャレンジできます。
ITの仕事は技術職ですので、技術がついていけば年収が上がりますし、将来の転職にも有利になります。
ただし、未経験からITにチャレンジできるのは20代までです。
引退したプロ野球選手が一般企業に就職・転職するには「野球ばかりやってきました」というのは、一般的には不利です。
そのため、「プロ野球をやってきた」ということをメリットに変えましょう。
プロ野球やプロスポーツをやってきた人の強みは「厳しい戦いに勝ってきた」「目標を達成してきた」「最後までやり抜いた」「あきらめなかった」ということです。
これらは仕事にも十分使える能力ですので、こうしたことをアピールすることで採用面接が有利になります。
詳しくは『体育会系は就職や転職に有利な15の理由』を読んでみてください。
また『体育会系に人気の企業は?』も参考になると思います。
いずれも、野球とまったく関係ない仕事が多く「まったく新しいことにチャレンジする」という覚悟が必要です。
プロ野球引退後の独立や起業は危険
プロ野球引退後に独立や起業する人も多いですが、経営の経験がない以上、失敗する元プロ野球選手が多いため注意してください。
特に、引退したプロ野球選手が飲食店をやること多いですが、飲食店は商売の中でも難易度が高い方です。
飲食店のデメリットは、
- 初期投資が大きい
- 客単価が安い
- 仕入れたものが腐る
- 競争が激しい
- 固定費が高い
です。
飲食店は2年以内に約50%が廃業しています。
飲食業界で長くやってきた人でも、飲食店で成功するのは本当に厳しいのです。
元巨人の元木大介選手がラーメン屋さんをやっていたのは有名ですが、なかなか経営は厳しいものです。
スポーツと経営はまったく違うものです。
引退後の起業時に作った借金が経営を圧迫し、自己破産する人もいます。
また、引退したプロ野球選手に近寄ってくる「経営コンサルタント」の類には注意してください。
「経営コンサルタント」「起業コンサルタント」などは、言葉巧みに「独立・起業の手伝いをします」と言って、引退したプロ野球選手のお金をごっそり持っていく悪徳なコンサルタントもいます。
安易に話にのってはいけません。
お金にこまって犯罪に手を出してしまう人もいますが、犯罪は絶対にいけません。
詳しくは『起業したい元アスリートやスポーツ選手へ』を読んでみてください。
日本で唯一の引退したスポーツ選手専門の就職・転職支援窓口
引退したプロ野球選手の就職や転職に有効なのが、日本で唯一の『元スポーツ選手専門の就職・転職支援窓口』の活用です。
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