柔道選手の引退後は?

柔道選手の引退後についてご紹介します。

ほとんどの選手は高校や大学を卒業と同時に引退しますが、オリンピック候補選手やオリンピック選手は大学卒業後も競技を続けます。

そうした選手のほとんどは企業に所属して柔道をしています。

いわゆる「企業選手」というものです。

 

企業に籍はありますが、ほとんどはオリンピックや世界大会のための練習や大会・遠征などです。

ですので、所属企業の仕事はあまりしません。

 

正社員の選手もいますが、契約社員の選手もいます。

正社員であれば引退後もその企業に残ることができますが、契約社員は引退と同時に社を去ることになります。

競技寿命は男子は33~34歳、女子は32~33歳と言われています。

 

引退後、有名選手やメダルをとる選手は解説や指導者の進路もありますが、数は多くありません。

 

総合格闘技やプロレスに転向する選手もいますが、いずれ年齢のため引退がやってきます。

年齢を重ねてからの一般企業への就職は難易度が高いです。

 

また、大学で教育学部に通い、教員免許がある人は教員になるケースもありますが、

これも教員の募集枠が空いていないと正職員にはなれません。

低い給料で非常勤講師となる人も多いです。

 

柔道整復師の専門学校に進学して、柔道整復師の資格を取る人もいます。

多くは整骨院や接骨院への就職となりますが、年収の上限がある程度決まっています。

有名柔道選手の引退後をご紹介

井上康生さんの引退後

井上康生さんは、現役時代に金メダルをとりまくる姿は圧巻でしたね。

現役時代の戦績をご紹介しておきます。

「オリンピック」
2000年 シドニー 100kg級 金メダル

「世界柔道選手権」

  • 1999年 バーミンガム 100kg級 金メダル
  • 2001年 ミュンヘン 100kg級 金メダル
  • 2003年 大阪 100kg級 金メダル

「アジア競技大会」

  • 1998年 バンコク 100kg級 金メダル
  • 2002年 釜山 無差別級 金メダル

と、金メダルばかりです。

2013年には国際柔道連盟の殿堂入りを果たしています。

 

2008年に現役を引退しています。

現役時代は綜合警備保障に所属していました。

現役引退後は、日本オリンピック委員会(JOC)の2008年度スポーツ指導者海外研修員(長期派遣)に選定されて、2年間、スコットランドのエディンバラに派遣されて、留学先では英語研修と欧州の柔道指導法・柔道事情を研究しました。

 

2011年にスコットランドから帰国すると、綜合警備保障を退職しています。

同じく2011年に東海大学体育学部武道学科専任講師兼東海大学柔道部男子副監督に就任しました。

ロンドンオリンピック後に篠原信一氏が責任を取って全日本男子監督を退任した後、代表監督に就任しています。

 

2015年には東海大学体育学部准教授に昇格。

2016年のリオデジャネイロオリンピックで監督として参加し、男子は金メダル2個、7階級全てでメダルを獲得することができ、日本柔道に大きく貢献しています。

指導者としての才覚は素晴らしいもので、今後もとても期待ができますね。

野村忠宏さんの引退後

野村忠宏さんは小柄な選手でしたが、とても強かったですよね。

現役時代の戦績をご紹介しておきます。

「オリンピック」

  • 1996年 アトランタ 60kg級 金メダル
  • 2000年 シドニー 60kg級 金メダル
  • 2004年 アテネ 60kg級 金メダル

「世界柔道選手権」

  • 1997年 パリ 60kg級 金メダル
  • 2003年 大阪 60kg級 銅メダル

と驚異的で、特にオリンピック三連覇はすごいですよね。

 

2015年に現役を引退しています。

1999年にミキハウスに入社しており、現役引退後も籍を置いています。

現役引退後はミキハウスの社業に従事しています。

また、医学博士も取得しています。

古賀稔彦さんの引退後

古賀稔彦さんは小柄ながら鋭い切れ味の一本が印象的ですよね。

念のため現役時代の戦績をご紹介しておきます。

「オリンピック」

  • 1992年 バルセロナ 71kg級 金メダル
  • 1996年 アトランタ 78kg級 銀メダル

「世界柔道選手権」

  • 1987年 エッセン 71kg級 銅メダル
  • 1989年 ベオグラード 71kg級 金メダル
  • 1991年 バルセロナ 71kg級 金メダル
  • 1995年 千葉 78kg級 金メダル

「全日本柔道選手権」

  • 1990年 銀メダル

「アジア大会」

  • 1990年 北京 71kg級 銅メダル

と、素晴らしい成績です。

2000年に現役を引退しています。

 

現役を引退した後は柔道の指導者になりました。

全日本女子柔道チーム強化コーチを務めています。

 

2003年には子供の人間育成を目的とした道場「古賀塾」を開きました。

2007年には岡山県の環太平洋大学柔道部の総監督に就任しています。

2008年には東京都の日本健康医療専門学校の校長に就任しました。

また、同じく2008年には弘前大学大学院でスポーツ医学研究を始めており、2012年に博士(医学)の学位を取得しています。

篠原信一さんの引退後

篠原信一さんと言えば、テレビ番組で見ることが多いですね。

現役時代の戦績をご紹介しておきます。

「オリンピック」

  • 2000年 シドニー 100kg超級 銀メダル

「世界柔道選手権」

  • 1995年 千葉 無差別級 銅メダル
  • 1997年 パリ 95kg超級 銀メダル
  • 1999年 バーミンガム 100kg超級 金メダル
  • 1999年 バーミンガム 無差別級 金メダル
  • 2001年 ミュンヘン 100kg超級 銅メダル

「アジア大会」

  • 1998年 バンコク 100kg超級 金メダル

「アジア柔道選手権」

  • 1995年 ニューデリー 95kg超級 金メダル
  • 1995年 ニューデリー 無差別級 金メダル

と素晴らしいものです。

 

2000年シドニー五輪の「誤審問題」は話題になりましたね。

国際柔道連盟ではこれを機に「ビデオ判定」が導入されました。

 

現役時代は主に旭化成所属でした。(2001年まで)

旭化成退社後は、天理大学体育学部専任講師兼柔道部監督に就任しています。

2003年に現役を引退しています。

 

現役を引退後は天理大学の教授と監督を続けながら、柔道国際大会の解説も務めています。

2008年には、柔道男子日本代表監督に就任しています。

篠原さんと選手の功績で、2010年世界選手権では日本男子の獲得メダル数は過去最高になりました。

 

2013年には、奥様を代表取締役にしている産業廃棄物処理会社の経営に集中するため、天理大学を退職しています。

その後はテレビ出演も増えており、バラエティ番組でほほえましい姿を見ることができます。

今後のご活躍も楽しみです。

谷亮子(田村亮子)さんの引退後

谷亮子さんは「やわらちゃん」として有名ですね。

特に、シドニーとアテネオリンピックの金メダルは印象的でしたね。

帝京大学文学部卒業語は、日本体育大学大学院博士前期課程を修了。

大学卒業後はトヨタ自動車に所属して柔道をしていました。

 

2010年にトヨタ自動車のスポンサー契約が終了したため、所属を「オフィス・リョウコ」(個人事務所)に変更しています。

2010年に第22回参議院議員通常選挙で民主党の比例区公認候補として出馬表明を示しました。

その後2012年に現役を引退しています。

 

引退後は、小沢一郎氏らとともに民主党を離党して、生活の党と山本太郎となかまたち所属の前参議院議員、生活の党と山本太郎となかまたち副代表兼参議院幹事長をしており、その後も政治家として活躍しています。

柔道選手の引退後の就職・転職の注意点

現役時代に所属していた会社の社業に専念する選手もいますが、現実的には退職する選手が多いです。

それは「柔道をするのに良い環境だったから」という理由でその企業に所属していた選手が多く、引退してその社業をやりたいわけではないという本音があります。

また、社業から遠ざかっていたこともあり、現実的にその会社の業務を「できない」という選手も多いです。

 

また、契約社員だった選手も、引退後はその会社を去るケースがほとんどです。

 

その後、一般企業に転職する選手が大多数なわけですが、今まで「柔道しかやってきませんでした」という人がいきなり転職活動を始めるのは難易度が高いです。

社会経験がない分、やみくもに採用面接を受けてもうまくいきません。

日本で唯一の元スポーツ選手専門の就職・転職支援窓口

そこで有効なのが、日本で唯一の『元スポーツ選手専門の就職・転職支援窓口の活用』です。

 

「元スポーツ選手専門の就職・転職の支援窓口」は、

自分に合う企業、自分の競技実績を評価してくれる企業を無料で紹介してくれます。

「スポーツ選手を評価してくれる企業」

「元スポーツ選手を採用したい企業」

の求人情報を専門で持っているのはここだけです。

 

元アスリートのインタビューサイト

元アスリートの引退後のインタビューサイト」があり、とても参考になりますので見てみてください。